KL発飛日記

マレーシアに赴任してた(現在は日本在住)の旅行好きによるB級旅行記・ホテル宿泊記・フライトルポなど

2021/12 マレーシアに渡った14系を見物

東南アジア鉄道マニアには有名な話だが、マレーシアにも日本からの譲渡車両(14系座席車・寝台車)が存在しかつて半島南部Gemas-JB(ジョホールバル)間、更に前はTumpatまで行く夜行列車で運用されていた。現在は運用を失った後にGemasの側線で朽ち果てているという情報をキャッチしたので見物しに行ってみることに。(Tumpatに一部車両が留置されているという情報を目にしたが既にGemasに移送されていました)

KL SentralからETSでGemasへ。当時Gemasまで行く列車は1日2本しかなく予定立てるのに難儀した記憶。

なかなか来ることのないであろう田舎だが、意外にもGemasまで乗り通す乗客は多かった。

感動の?再開

ETSを降りてホームの端まで行くと...ドーン!と 14系の壁が出来上がっている。

完全に朽ち果てているんすけどはるばるGemasまで来た甲斐があった。

一人用個室(ソロ)車両の姿も確認できたけど一人旅の需要がほぼ無いマレーシアに何故やって来た?

ホームの有効長の関係で間近に見学できる車両は限られるのだが、見れる範囲で簡単に解説。

一番後ろにいるのがスハネ?フ 14 202。おいネ(=寝台車)ってなんだよどう見ても座席車じゃねーか。JRがこのようなことをやるのは有り得ないのでマレーシアに来てからわざわざ改めて車番を塗った模様。

正しくはスハフ14 202で元JR西のシュプール号(下半分がピンク色)のやつ。ムーンライト九州にも充当されていたんで当時は竹下の客車区でよく見てたはず。

荒廃具合がヤバい2両目、スハネフ14 6。「富士/はやぶさ」に充当された車両だが、こんな南国においてボロボロの状態で最期を迎えているとは誰が想像しただろう。

ドア上「B寝台」の表記の背景が青色なので元JR九州車と分かる。というかマレーシアに譲渡された14系の内寝台車はすべて元九州車、座席車は元西日本車だったような。(違うかもしれない)

小窓の寝台車はスハネフ15 2。こちらも最期は富士ぶさに連結されていたやつだが、ここで眠っている寝台車のどれかには日本で乗車したことがあり感慨深い。

ちなみにこれら寝台車に関して、JB-Gemasシャトル列車として走っていたころは客用として供されることは無く、主に電源車として連結されていた。

寝台車と座席車の連結面。屋根の高さの違いが強調されるこのアングル好き。

寝台のお隣はスハネ?フ14 257。もちろん「ネ」ではない。こちらも元シュプールだがマレーシアに来る際にピンクのシュプ色から標準の青色に塗りなおしたのか?

一両ずつ見学できる範囲では最後となるこちらの客車はオハフ15 42。こちらは元々国鉄色の車両。最後は宮原にいたそうだがググってもあまり情報が出てこない...

隣のホームにはJB行きシャトル列車が泊まっていた。東海岸線に新型DCが導入されたこと、コロナでの運用減で客車が余ったため使い勝手の悪そうな14系が淘汰されてしまったのかなと。ただここからJBまでの区間も電化工事が進んでおり西マレーシアから客車列車の灯が消えてしまうのもそこまで遠くないかもしれない。

拠点駅という事で設備は立派なGemas駅だが周りは食堂くらいしかない。ここに住んでいる人たちの大半はKTM関係者じゃないかと思うくらい。

サテーシティに寄って帰る

本数少ないんで折り返しの特急ですぐに帰る。そのままKLに戻るのも面白くないので寄り道することに。

最後に奥の方にも14系が3両留置されていたことに気づく。

あともうちょっと渡馬が早ければ乗れただけに残念。ブルトレの海外譲渡車両と言えばタイに渡った奴が有名だが、そちらはシングルデラックスに乗車しているのでいつかブログネタにしたい。

KLのベットタウンと言えるKajangで下車。なんか窓口で客と駅員か口論していてうるさかったぞ。

kajang駅は若干街外れにあり中心地に行くにはMRTに乗り換え隣駅まで進むべきなのだが折角なので歩いた。

このKajangという街、サテーで有名なんすよ。なぜサテー屋が沢山あるのかまでは知らないがサテー専門ホーカーもあったりする。見渡す限り全部サテー屋で大家族がアホみたいな量食ってた。。

あー(゚д゚)ウマー。付け合わせのキュウリ・玉ねぎとの甘いタレが上手くマッチする。ビールが欲しくなるがご法度。

このあとダラダラMRTでKLまで帰りました。